これは「#ゲームする部逆AdventCalendar2024冬」1月3日の記事です。
1月2日の記事はこちらから↓
インターネットでVaporwaveの生死について語っている連中はここ1〜2年のリリースを碌に聴いていないので、生存の権利が認められていない
— 本 (@dasBuchderI8) 2024年8月11日
概略
昨年に引き続き、2024年に聴いた音楽のまとめです。
昨年の記事はこちらから↓
- 概略
- 無痛音楽教育 3才からのとんねるず / とんねるず
- Think About Things / Daði Freyr (Daði & Gagnamagnið)
- ESTOILE NAIANT / patten
- I'll Try Living Like This / death's dynamic shroud
- Sextet, Six Marimbas / Steve Reich
- Phylyps Trak / Basic Channel
- 肉屋が話す / 溶けた壁
- 結び
- ところが
無痛音楽教育 3才からのとんねるず / とんねるず
広い意味でのコミックソングを体系的に捉えたことはないのだが、ハナ肇とクレージーキャッツやザ・ドリフターズに幼少期から触れていたこともあり、あるいは諧謔的・逸脱的な表現に対する逆張りじみた羨望によって、この種のアルバムを集めるようになった。
本作にも収録されているとんねるずの『ガラガラヘビがやってくる』は、明らかな性的隠喩を含むにもかかわらずオリコン1位を記録した大ヒット作である。しかしながら、今日より通俗的な笑みを誘うのは「ある動物の徒競走」に没頭する父親の姿を描いたパパのどうぶつえんであろう。Fanbox限定公開にしたほうがいい。
Think About Things / Daði Freyr (Daði & Gagnamagnið)
Eurovisionというのは、大雑把にいうとヨーロッパ放送地区における紅白のようなものである。高校生の時分だったか、このEurovisionにハマっていた時期があった。国単位のコンテストであるにもかかわらず、あきらかにふざけた楽曲で臨む国が後を絶たず、その痛々しいほどの滑稽さに感じ入るところがあったのだろう。
その後しばらくEurovisionから離れていたのだが、今年に入ってふと近年のエントリーを漁っていたところ、このDaði Freyrに辿りついた。パフォーマンスこそ"脱力系"といった趣であるが、ポップスとしての圧倒的なクオリティは紛れもなく王者のそれである。……これが2020年のエントリーであるという点に目を瞑れば、ではあるが。
ESTOILE NAIANT / patten
たとえばChuck Personでもそうだが、マイクロジャンル以前の未分化な作品群を鑑賞する際にはコンセプトやミームにばかり注目するのではなく、むしろ継承されなかった実験的手法に耳を傾けるべきではなかろうか、という考えに至りつつある。
pattenの初期作品をその観点から再解釈してみると、たとえばKey embeddedにみられる非同期的な重層化/縦積みの手法はきわめて独自的であり、かつ普遍的なテクニックとしての定着をみなかった。「あわよくば模倣したいものだ」と何度も聴き直して、はじめて継承されなかった理由が見えてきた。pattenは鬼才である。
I'll Try Living Like This / death's dynamic shroud
いわゆる"post"なPlunderphonicsにおける歴史的名盤であり、「何故これを今更」とお思いの方も少なくないだろう。一つは先に挙げたESTOILE NAIANTと同様の理由で、音楽的手法において学ぶべきところが多く、聴きこむだけの価値がある作品に思えたためである。
もう一つは多少実利的な理由で、アルバムの長さと楽曲の雰囲気がフィットネスバイクでのワークアウトに丁度よかったためである。とくに내 마음은 떨고やCD Player pt IIIに差し掛かると気分もアゲアゲというもの。なおワークアウトに関しては諸兄ご想像のとおりで、お世辞にも継続できているとは言い難い状況である。
Sextet, Six Marimbas / Steve Reich
2024年のささやかな進展として、個々の作品ではなくミニマル・ミュージックという括りを意識しはじめた。それまでは、たとえばSteve ReichとPhilip Glassの構成における差異を認識していなかったわけで、そういう意味では「なにかを得た気になる」学びであるといえよう。
さてReichであるが、微小な変化の積み重ねによって多様な色彩が展開されていく美しさというのはやはり格別である。諸兄は「ミニマル」という語からミニマル・テクノを連想するかもしれないが、筆者の印象としてはむしろダブ・テクノこそがその嫡子であるように思えてならない。
Phylyps Trak / Basic Channel
恥を忍んで申し上げると、この年に至るまでダブ・テクノを碌に聴いたことがなかった。「音楽ゲームにほとんど収録されていないから」という図々しい言い訳が浮かぶが、今となっては些細な問題であろう。
はじめてFloral Shoppeを聴いた3年前の夏、それ以来の衝撃であった。丁度Reichに感化されていた時期というのもあったが、同じパターンを繰り返しながらも細かに変化する音色に魅了されてしまったのである。Basic Channelに関してはノイズの使い方も見事で、音楽観そのものを一気に染め上げられてしまった。このジャンルに興味をもたれた諸兄は、ぜひ下の動画もご覧いただきたい。
肉屋が話す / 溶けた壁
我々にはやり残したことがある。
結び
2023年と比べて総評すると、温故知新という印象をうけるラインナップといえよう。
一方で、ここに挙げていない作品も含め「偶然の出逢い」のようなものを信じて音楽を聴き続けた一年でもあった。
結果として傾向、あるいは偏りが生じたことをどう解釈するか、それが音樂聽過にどう影響するか。今から楽しみでならない。
なおも2024年を振り返ってみると、筆者はとうとうゲームに飽きた。
特定の作品やジャンルでなく「コンピュータゲーム」そのものに対する関心が日を追うごとに薄れていき、やがて見えなくなった。
おそらくそれも本質ではなく、ここ最近の娯楽作品とそれを讃える文字列が吐き出す空気に嫌気がさし、そこからの避難を試みているのかもしれない。
「いずれ近いうちに、dasBuchderI8と紐づけられることにも飽きる」という予感が頭を擡げる。
だがそれは今日でもなければ、たぶん明日でもないので、目下のところは物の数に入れていただければ幸いである。
それでは。
なんだかんだで研究と電子音楽が間隙を充填し、普通に生きている 音ゲーが上達しなくて辛い人たちは音ゲーをやめよう! https://t.co/G4WsVRhim8
— 本 (@dasBuchderI8) 2024年12月2日
ところが
#年末なのでいいねした人に一つ@unlimi_otoge https://t.co/1pcafYTima pic.twitter.com/NiMpcQMQY4
— 本 (@dasBuchderI8) 2024年12月31日
執筆者:本*1
*1:X: @dasBuchderI8